Prettywoman

プノンペンのガルバ店長やっています(した)

”世の中はすべて掛け算でできている”という話

今の社長との関係が始まってから約1年半、この人が発する言葉や姿勢からは色んなことを学ばせて頂いた。そのなかには、お酒の席での振舞い方(どう飲んだらお客さんに可愛がってもらえるか?)といった営業ノウハウも含まれるが、そういう方法論はむしろ少なくて(考える機会を奪ってしまうので)、どちらかといえば経営哲学とかマインドといった抽象的なことが多い。なかでも入社当初から一貫してずっと言われているのが「人の気持ちを大切にしなさい」。”一宿一飯の恩義を忘れるな”、”義理人情(浪花節)を欠くな”、任侠の世界の考えに近いと思う。

「努力×能力×運=仕事の成果(数字)」は社長の持論だけど、この考えで重要なのが、物事は足し算ではなく”掛け算”で決まるということ。これは人間関係においても同じで、誰かにプレゼントをあげたとき”相手にどれだけ喜んでもらえるか?”を決めるのは「行動(何をあげるか?)」×「送り手の気持ち」。ガールズバーでも女の子の心が動くのは、お金をたくさん使う人より「気持ちの良い人」。後者でも結局お金は使うのだが、(気持ちの)掛け算が大きい分、1の行動でも大きな喜びを相手に与えられる。夜の女の子を口説くためにiPhone6を買い与える必要は必ずしもないということ。

部下とか後輩の面倒を見るときはお金がかかる。酒とか洋服とか飯とか与えて「この人についていきたい!」と相手に思わせる訳だが、このときも掛け算がものをいう。たとえ1ドルでも掛け算(気持ち)が大きければ相手の心をつかめる。逆に気持ちがない(と相手に判断された)人はどれだけお金を使っても効果は薄い。たとえば人の雇用に関して「カンボジア人はすぐに仕事を辞める」「給料が高い仕事があるとすぐに転職する」という意見を日本人からよく聞く。もちろんそういう人もいるのだが、ぼくの知る限りカンボジアの人が仕事を続ける基準は「人」。見栄っぱりな人達なので最初に仕事を選ぶ基準は職種や仕事内容だが、続けるかどうかは上司やボスの人柄。そこが合わなければ条件が良くてもすぐに辞める。逆にボスが気持ちのいい人でスタッフと気持ちが通じればたとえ給料が安くても一生懸命働く。全員が全員そうではないけれど、カンボジア人にそういう印象を僕は持っている。

「人の気持ちを大切にしろ」「人を大切に扱え」この言葉を1年で100回以上言われてきたし未だに言われ続けている。まだ体得できたわけではないけれど(だから注意される)、”なぜそれが重要なのか?”は理屈(頭)ではすこしわかってきた。入社当初、『横チンは、それ(人の気持ちを大切にする)さえ身に付ければ、成功するよ』と何回か言われた。もっともっと人の気持ちに対する感度をあげていかなければならない。

というわけで社長、もう少し時間かかりそうです。

教養って大事だなと思った話

昨日、ポルポト政権時代を生き抜いたおばあちゃんに会った。

店舗用物件の契約でオーナーさんの家を訪問したらデカい家の中から現れたおばあちゃん、この人が大家で名前はソパニーさん。御年70歳。作家であり詩人。英語を話し(この世代で英語を話せる人に初めて出会った)、作曲や楽器もできる。失礼な話だが、カンボジアに来て初めて「教養人」と呼べる人に出会えた気がする。

字が書けるだけで”危険人物”とみなされていたポルポト時代にソパニーさんは当時の状況を日記に残していた。これはポルポト政権下の歴史を検証する上で本当に貴重な資料らしく、NHKスペシャルや本でもソパニーさんのインタビューや日記が紹介されている。作家としても著名な方で、この人が書いた本がその年の一番高い評価を受けたり、学校の教科書で彼女の物語が紹介されている(お店の女の子も知ってた)、国際的にも有名な方だそうで、部屋にはソパニーさんが表彰されている写真や賞状が数多くあった。

部屋に飾ってある賞状の数から、この人が世間から高い評価を受けていることはわかる。けれどもぼくが一番印象的だったのは、ソパニーさんから契約書の内容について指摘を受けてwordファイルを修正しようとしたら「わたしがやるわ」と言って自分で修正してしまったこと。なんか見ていて気分が良かった。

帰り際、「(ソパニーさんがインタビューを受けた)NHKのムービーが自宅にあるからいつでも見にきてね」と言ってくれた。近いうちにまた顔を出すと思う。

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女の子のスカウトについて

仕事柄、定期的に女の子のスカウト活動をする。ガールズバーでは女の子の人数がそのまま売上に直結するからスタッフの人数が少なくなってきたら他店の女の子に「うちの店で働かない?」とやるわけだが、僕はこれがまあ下手くそ。

 

半年前にやったときは経費を1000$近く使ってスタッフとして定着したのは1名(しかもぼくの実績ではない)。そのスカウトを最近また再開したのだが、僕の実力が前と変わってないことが社長にバレこう言われた「君は自分が相手に興味を持っている。ちがう。相手に自分のことを興味持たせるんだよ」。

 

以前、社長の商談に書記として同席させてもらったとき、その案件に自分が関わっていたので相手の方を質問攻めにしてしまったことがある(というか、僕はよくやる)。商談が終わった後「根掘り葉掘り聞くんじゃない」とたしなめられた。

 

そのときは"相手方のノウハウをタダで聞き出そうとするんじゃない"とか”何でも質問するのは相手方に失礼”といったビジネスマナー的な意味合いだけでとらえていたけれど、スカウトの話を聞いてからは「相手を質問攻めにする」のは交渉面でマイナスに働く、自分の評価を落とす行為ではないかと思うようになった。※プライベートの付き合いではいいことだと思う。あくまでも交渉に限った話。

 

社長は元々光通信の営業出身、あの会社のトップ営業マンは1月に何億円も売るそうだが、その営業手法は押しではなく「引き」。商品説明を自分からべらべら話すのではなく、相手から聞いてもらう(興味を持ってもらう)ことが大切なのがそうだ。実際のところ「押し」の営業でも売れることは売れるのだが、そういうやり方だと後からクレームが入ってキャンセルになりやすいとのこと。

 

女の子のスカウトも同じで、今の僕のやり方は、他店で可愛い女の子を見つけたときに(この時点で興味を持っている=負け)、いきなり仕事の話をしてしまっているが、本来は相手がぼくに興味を持ち、相手から質問をしてもらえる状況を作るのが理想。その状況を作るために「なにをすればいいか?」を考え行動するのが営業だという気がする。

 

今回は手法(方法)の話だけど、普段は経営者としてのマインドや哲学的な話を聞かせてもらうことが多く、具体的な手法のアドバイスを受けることは少ない。やり方をあまり教えてないのは自分で考える機会を奪わないためだと思う。

 

うちの社長に言わせれば、仕事に能力は関係ないらしい。仕事は”コツ”が大事だから、正しいアプローチをすれば、ある程度はだれでも成果が出せるのだとか。確かに今の会社に来てから劣等感を感じることがない。正確には、劣等感を感じるような扱い方をされることがなくなった。

カンボジアで暴漢にあった

3日前暴漢にあった。

客引きを中断し川沿いのベンチで休んでいたら、クメール人2人組が僕と同じベンチに座って話しかけてきた「日本人ですか?」。客引きで疲れていたので適当に応答するも質問が途切れない。「カンボジアに来てどれくらい?」「何の仕事をしてますか?」「クメールの女性は好きですか?」等。ときおり、同じ質問を繰り返してくるので「さっき言ったよ!」と少し苛立った。しばらくして質問が止んだ「ようやく落ち着いた・」そう思った矢先、いきなり背後から首を絞められた。その直後、それまでフレンドリーに話しかけていた2人が一気に僕のところまで駆け寄り、1人は僕の顔を殴り、もう1人は胸ポケットからiPhone5Sを奪う。目的を達成した3人はすぐに人気の多い通りに逃げだ。この間5秒位。襲われている間「これはやばい、このまま殴られ続けたら死ぬ・・拉致されるときってこういう感じなんだろうな…」とか考えてた。8ヶ月間の海外生活で初めて怖い目にあった。

この日を境に自分の中で少し変わったことがある。他人との間合いを無意識にはかるようになった。考えるよりも先に身体が動いているような感覚。たとえば、自分が座ってるときに相手が近づいてきたら「あ、今この人に襲われたらヤバイ」と感じて自分もすぐ立ち上がる。または自宅に雑誌を届けに来た人と自分の「距離が近いな」と感じたら距離を置いたり、お店の女の子にちょっかいを出す男に注意してるときは「今殴られたら防げないな・」と感じて両腕を引き上げるとかそういったこと。頭で考えなくても自然と身体が動くようになった。人間に元々備わっている「危険察知スイッチ」みたいなものが暴漢に襲われたことで作動したのかもしれない。元々はかなり鈍かったはずのその感覚が少しは鋭敏になった気がする。暴漢にあったのは怖いことだけど、その代償として「危機意識」という海外生活者にとっておそらく一番大切なものの芽を自分に植えつけることができた。

そういえば、暴漢にあった当初「あんなところに1人で行くバカがあるか!何も考えてねぇ証拠だ!」と社長にこっぴどく叱られたが、昨日は「自分に買ったんじゃねぇ!俺のだからな!」と言って新しいiPhoneを渡してくれた。