酒乱の人
>こういう人には、ビデオに撮って酔った醜い姿を見せてあげると、かなり効果がある。いくら家族から「ひどい」と言われても信じないからね。うちの親もそうだった。父は私が書いたエッセイを読んでびっくり仰天、初めて自分の酒乱ぶりを自覚したらしい(40年も自覚せんで生きてきたところがすごい)。
アルコールと病気--TOKIOの会見を観て(田口ランディ)
https://note.mu/randyt/n/n823619dca9fb
酒乱の知人が2人いる。1人は深酒をしたら暴言を吐いたり暴力的に。昔からそうらしいけど特に周りが年上で気を使う場面だと緊張からそうなりやすいのだという。当の本人は全く記憶がない。昼間は礼儀正しくて気持ちいい人だけに酒乱のときの印象を残してしまうのは本人にとって勿体無いと思った。人が離れてしまう。
もう1人の知人は酔っ払ったら多少スケべになって卑猥な単語を大声で出すタイプ。元々本人のキャラもあってギリギリ愛嬌で済ませられるレベルだったけど、先日久しぶりに会ったらその症状も収まっていた。変な酔い方をしなくなった。本人にそのことを伝えたら「無理/我慢をしなくなったなぁ」と。確かに僕が知ってるときよりも怒りっぽくなっていた(僕は良いことだと思う)。彼は今は人生がすごく楽しいと言ってた。肚の中と体裁とのギャップを減らしたら酒乱を少しはマシにできるかもしれない。
占い師に見てもらいました
先日退社した従業員(♂)と店の外で電話していたぼくの様子を見た店の女の子が「ティーチャーの様子がおかしい・(前はあんなに声を荒げなかったのに)」と不安になりそのことを占い師に相談したらしい。相談料$25。確かにここ数日は出勤したらぼくの晩飯が用意されていたり、スタッフたちになにかと気を使われていた。
占い師によれば、ここ最近のぼくの行動がおかしい(?)のは誰かにキツく注意されたからで、女の子の間では占い師がその問題を解決したことになっている(このサービスは相談料に含まれている)。これはカンボジアの人にとっては普通の行動で、自分に振り向いて欲しい異性がいるときなんかは占い師を使う。「私のことを好きになれ」ってなもん。日本でも週刊誌の最後のページに異性を惚れさせる”媚薬”の広告が載ってたりするから根っこは変わらないと思う。
どちらにしても、スタッフを心配させるのは良い上司といえないからもう少し元気にいこう。
カンボジア人について③
当たり前の話かもしれないが「日本人に好かれる日本人はカンボジア人にも好かれる」なぁとうちのスタッフ達を見ていて思う。
日本にいたら嫌な相手でも立場上我慢することが多いけど、こっちの人は素直だから自分が嫌だと感じたらハッキリ態度に出す。言葉が通じない分、相手の行動だけを見るので、所属してる組織とか立場を抜きにその人の人間性だけを評価する。そのあたりの感覚はものすごく動物的だ。基本的に裏表のある人は警戒される。
ぼくも最初の頃はめちゃくちゃ警戒されてたのだが、1年以上一緒に働いているうちに少しづつ(本当に少しづつ)心を開いてくれた。で、そういう子達に囲らやまれていると自分もうそをつけなくなる。元々愛想笑いは苦手だったのだが、最近はすぐ態度に出てしまう。気持ちのいい人にはタダでも尽くしたいと思うが、そうではない人とは深入りしない。そういう自分の中の線引きがハッキリしてきた。
最近そういう人達とお付き合いさせて頂いているので毎日が楽しい。自分の好きな人とだけ接しているので精神的にもいい。客商売をやってる人間としては微妙かもしれけれど。
浪花節
こっちにきて硬派な環境に1年以上身を置いているせいか「相手の面子」とか「筋を通す」といったものを多少は気にするようになってきた。そういうことを気にしていると"山っ気のある人"(気持ちを大事にする人)に惹かれるし、お客さんを始め、自分の周囲も自然とそういう人に恵まれるようになるから不思議だ。
そういう人たちの特徴として、気に入ってもらえるうちはとことん贔屓にしてもらえる一方で、一度筋違いとか相手の面子をつぶすようなことをすれば一気に手のひらを返される怖さも常にある。たとえば、今までぼくのお店で毎日のように通ってくれたお客さんが突然うちお店の隣にガールズバーを出すとか…極端にいえばそういうことをされかねない。
もちろん人間だから失敗することはあるし、何でもかんでもちゃぶ台を返される訳ではないのだが、たぶんここで重要なのは失敗(行動)そのものより失敗をおこした原因(性根)。相手のことを考えてやらかした無礼なら謝って許してもらえる可能性もあるがその逆は厳しい。今までどれだけ尽くした相手でも、そこに気持ちがないと判断されれば今まで自分のとった行動が一気に薄っぺらく感じさせてしまう。そしてカンボジアにはそういうタイプの日本人が多いと思う。
ぼくはどちらかといえば、行動>気持ち派の人間で、気持ちの部分がまだまだ弱い。今の社長のもとで学んだおかげで"AI"から"普通の人間"くらいにはなれたかもしれないけど、もう少し情念の強い人間になれればいいなと思う。
「FACEBOOKの使い方間違ってるよ」と指摘されたので。。
先日ある方から「(あなたは)Facebookの使い方が間違ってる」という意見を頂戴した。
投稿の内容ではなく分量に対する指摘で「長文の投稿が多いからFBよりもブログ向き。(商売をやっている以上)記事をストックできるブログの方が良い。その方が閲覧数も管理しやすい」という商売目線のフィードバックだった。踏み込んだ意見だったので最初は「(若いから)なめられてるのかな?」と思ったけど、その人が善意で言ってることが伝わったので真剣に聞いた。結果、SNSの運用について見直す良い機会になった。
SNSの良い所は「(見ず知らずの)人から信用を得られるところ」だ思う。ぼくはFacebookを"身近な人への近況報告"&"最近知り合った人への自己紹介"のツールとして利用しているけど、いずれも狙いは「人から信用を得る(興味を持ってもらう)こと」にある。そのためには自分が考えたり感じたことをそのまま綴るが重要だと思っていて、文章の上手い下手よりも、自分の思ったことを素直に書くこと、文章として誠実であることが大切だと考えている。
仕事において、ぼくは旅行や出張でこっちに来られた方とはなるべくFBを交換するようにしている。海外で若い男が水商売をやってると警戒されることも多いが、そういう人達とFBで繋がってぼくの投稿を見ると「真面目なこと書いてますね」と言って割と信用してもらえたりする。ぼくのことを疑っていたあるお客さんは、ぼくと社長のFBを過去数年分に渡って全てチェックして「この人たちは大丈夫そうだ(詐欺師ではなさそうだ)」と判断したそうだ。その方とは今でも良くして頂いていて、そこの社長が来られたときは滞在期間中、毎日うちのお店に飲みに来て頂いた。
といった具合に、ぼくなりにFBは有効活用してるつもりだったので、FBの使い方に関して人から指摘を受けるとは思っていなかった。ただし、商売のことを考えれば、ブログとかWEBサイト等を準備して、旅行者や出張者がアクセスできる入り口を持っておいた方がいいのは間違いない。実際旅行者の方と話すと、現地情報を事前にネットで調べこんでいることが多いし、また9月から日本への直行便が通ることを踏まえても、ネットからのアクセスは確実に拾っていきたい。そこで、、今日からブログを身内に公開しました。
こちらは、ぼくのFACEBOOKです。
「お客さんとの距離感について」
ゆきし日の面影 ~カンボジア人に日本の江戸時代の面影を見る~
江戸時代の日本を訪れた外国人の紀行文を再編集した「逝きし世の面影(著者:渡辺京二)」。外国人の目から見た当時の日本人のことが紹介されているんだけど(概ね”絶賛”)、そのときの日本人の様子が今のカンボジア人によく似ている。曰く「時間を守らない」「全然働かない(1日4時間)」「野次馬根性の塊(すぐに仕事を抜け出す)」「子供が笑顔」時間の流れがゆったりとしていた。このことは母国が近代化していた欧米人にとっては居心地が良く感じられて「この貴重な文化を(近代化の波で)自分達は壊してしまうのか?」と日本の将来を憂う外国人もいたらしい。
以前相棒のテラに「日本人は年間に3万人自殺するんだよ」という話をしたら「カンボジアはたぶん100人もいないですよ」と教えてくれた。少し前は色恋のもつれで川に飛び込む人が結構いたものの(カンボジアのPVは昼ドラ系が多い)最近は落ち着いてきたらしい。月給150~200$の人が大半を占めるなかでコーラ1杯=0.5$という物価水準では生活しにくいだろうけど、身内で助け合ってなんとかやりくりしている。社会保障がしっかりしていないせいか、身内や近所で助け合う気持ちは強い。
ある日系のマイクロファイナンス会社によればカンボジア人の不良債権率は「0.15%」。日本人だと「借金がある=駄目なやつ」みたいな感覚があって借金があっても家族に言わない人が多いが、こっちの人たちはお金の貸し借りに抵抗がない。友人同士でもお金の貸し借りを頻繁に行うし、(事故とかで)身内で急にお金が必要になったときは三親等あたりまで声をかける。お店の女の子からも「(家で問題があったから)借金したい」とよく言われる。あまりにも無遠慮に言うから、最初は抵抗あったけど、彼女達の事情を知った今は「まぁ…ある程度仕方ないかな」という感じ。それでも、貸すのが当たり前”という態度の子にはいまだに腹が立つ。うちは金貸しじゃねえぞと。
これから社会保障が脆くなっていく日本は、カンボジアに見習うところがあると思う。原点回帰というか。モラル意識が高いのは良いけれど、「人(身内を含む)に迷惑をかける=悪」という考えを少しだけ緩めて、誰かが困ったときは身内近所で自然に助け合えるようにしていけたらいい。いまは自己責任論の風潮が強すぎると思うので。カンボジアの物乞いなんてタバコを加えたまま、食べ物をねだるんだから(しかもそれでgetできちゃう)。